道草
2019.02.28 Thursday
「暮らしの場所を限られてきた人たちがいる。
自閉症と重度の知的障害があり、自傷・他害といった行動障害がある人。
世間との間に線を引かれ、囲いの内へと隔てられた。そんな世界の閉塞を、軽やかなステップが突き破る。
東京の街角で、介護者付きのひとり暮らしを送る人たち。
タンポポの綿毛をとばし ブランコに揺られ、季節を闊歩する。介護者とのせめぎ合いはユーモラスで、時にシリアスだ。
叫び、振り下ろされる拳に伝え難い思いがにじむ。関わることはしんどい。けど、関わらなくなることで私たちは縮む。
だから人はまた、人に近づいていく。」
道草のホームページより。
今日、新宿のK,s cinemaのモーニングショーで「道草」というドキュメンタリーを見てきました。
モーニングショーにもかかわらず、9割ぐらい人が入っていました。
冒頭の亮佑さんがつつじの花をむしり蜜を吸うシーン、たんぽぽの綿毛を飛ばすシーンを見て、「道草」って、なんてぴったりなタイトルなんだろうと思いました。
私も小学生の頃、学校の帰り道につづじの蜜を吸うのが大好きでした。つつじの蜜を吸わなくなったのは、つつじって車の排気ガスまみれやん!と思った日からでしょうか。
それでも、今でも時々、車の廃棄ガスまみれでもつつじの蜜を吸いたくなる時があります。
映画の中に出てくる亮佑さんは、一年に一度発行される「支援」という雑誌で、2号から巻頭の写真を撮らせてもらっているのですが、初めてその「支援」という雑誌で撮らせてもらった方で。
あの公園やコンビニや帰り道。映画にはあの場所が写っていて。寒い日の撮影で、日が暮れてずっと公園でブランコをこぎつづける亮佑さんに正直、寒いんですけど、まだ帰らないのかな、、と思いながら撮影していたことなんか思い出しながらも、あの時の亮佑さんと出会わなかったら、私もきっと知らなかった世界。
そのことが可能なんだと知ることができないと、人はきっと無理だ、できないと思ってしまう。
私は亮佑さんに出会ってしまったから、知ってしまったから、そこから始まったこともたくさんある。
この映画のことを書こうと思うと、とても長くなってしまう。興味のある方はおつきあいください。
この映画にはその生活がなぜ難しいかということもちゃんと描かれている。
映画の中には、暴言や他害、自傷行為の強い中田さんという方が出ていて、実際に自立生活が簡単ではないことも描かれている。
お店に落ち度はないのに、いきなり、窓ガラスを叩き割られたコンビニのオーナーやその場で働いていた人にも言いたいことはあったと思う。
中田さんが壁を叩きながら、「お父さん助けて」「お母さん助けて」と言っていたという話や、外出した時の嬉しそうな表情がとても印象に残っている。
この映画の中には、いくつかの事業所の連携が描かれている。同じ社会福祉法人内の事業所ではなく、それぞれに独立した、それぞれの違う考えを持つ人たちが連携し、関わっている。
きっと一つの事業所、限られた介護者だけけでは潰れてしまう。介護者だって、長時間一緒にいて、暴言を吐かれたり、時には暴力が自分に向かうことに平気で全然大丈夫なわけではない。
私も認知症の方と関わるようになって、楽しいこともたくさんあるけれど、さっきまでにこにこしていた人が激変して(理由はその人の中ではあるのだと思うのだけれど)激昂して、その増悪の感情が一心に自分に向けられる時、その場では全然大丈夫なように振舞っていても、帰りの電車では、何も考えられないぐらいに放心している。
きっと、今まで親御さんたちは、藁にもすがる思いで辿り着いた場所で、「やっぱりうちではもう無理です、、」と言われ続けてきたのだと思う。
この映画の中には、どんな状況でも、それでも関わり続けようとする人たちがいる。そんな人たちは決して一般的ではない。奇特な人たちだと私は思う。
そんな奇特な人たちがいることを、ちゃんと映像の記録で残してくれたことにも、監督の宍戸さんに「ありがとう」と心から。
クリックすると、公式サイトに。