桜と親鸞
2018.03.29 Thursday
先日、浅草へ行く用があり、その前に合羽橋へ行こうと思って。合羽橋へはいつもは上野から歩いて行くのですが、その日は待ち合わせまでの時間があまりなかったので、地下鉄の田原町から。
田原町から合羽橋の方へ歩いて行くとお寺が見え、桜が咲いてるかな?とふと寄ってみたら、「東本願寺」!ってことはと思って歩いていると、いました親鸞が。どんなお顔なんだろうと、じーっと眺めたり。
お寺の境内の桜も満開でとっても綺麗でした。
歎異抄繋がりで、高史明(コサミョン)さんという方の「少年の闇」という本を読みました。自身の少年時代。日本の植民地の子供として育つ自分、朝鮮人のコミュニティの中でも孤立してしまう自分、いつも暴力と隣合わせの中、少年刑務所の中で感じたこと。自分の刺青を火で体を焼いて消すところなどは、そこまでしなくてはいけないのかと思うほど、自分との向き合い方が壮絶でした。
自分の生きてきた歴史と歎異抄の言葉が結びつけられ、胸に迫るものがありました。
私はまだ、親鸞のことも歎異抄のこともほどんど理解できていないのですが、思想や言葉がこんなに長い時間がたっても誰かの心に響くというのはすごいなと思って。
ねぇ、阿弥陀様。
歎異抄
2018.03.24 Saturday
ある、脳性まひの障害を持つ男性の方の今まで生きてきた、とても大切な話を聞かせていただいていて。
その中でその人にとっての大切な思想、そのことを少しでも理解するために「歎異抄」という親鸞の言葉や考え方を弟子の唯円という人が書きとめた本を読み始めました。
例えば、、第十三章にある、
「さらば、いわんことたがうまじきか」と、かさねておおせのそうらいしあいだ、つつしんで領状もうしてそうらいしかば、「たとえば、ひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と、おおせそうらいしとき、「おおせにてはそうらえども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしとも、おぼえずそうろう」と、もうしてそうらいしかば、「さてはいかに親鸞がいうことをたがうまじきとはいうぞ」と。「これにているべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといわんに、すなわちころすべし。しかれども、一人にてもかないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」
う〜ん、、わかるようなわからないような。激しく誤読してしまいそうだし、自力解読は難しそうなので、いくつか歎異抄について書かれた本を読んでみたり。
その中でも、詩人の伊藤比呂美さんの「たどたどしく声に出して読む 歎異抄」を読んでみたら、この本が凄く面白くて。
歎異抄を伊藤さんが訳しているのですが、ケセン語で聖書を訳している山浦玄嗣さんという方の「マッテァたより」を読み、ゆうきをだして、「阿弥陀仏」を「むげんのひかりさま」と置換してみたというくだり(120ページ)のところとかは、読んでいる私にもぱぁーっと光がさしこんでくるようでした。
合間合間に挟まれる、伊藤さんがアメリカと日本を往復するしんどそうな旅の日記のようなものもこの本の味わいを深くしていて。
私は特に、伊藤さんの訳した「和讃 ひかりのうた」というのが好きでした。
ちょうど撮影のために早起きをして、電車の中で朝日が昇り眩しくて目があけられないぐらいの光の中で読んだという、出来すぎるほどのシチェーションで読んだのもあるのかもしれないですが、自分にも光が見えたような気がしました。
雪解け
2018.03.02 Friday
先週末ぐらいから、あまりに感じたり、見たり、考えたり、そのことを言葉にしたりの自分の中での静かな怒涛のような日々に、ここに何かを書くこともままなりませんでした。
ずっと願っていたことの、最初の一歩が始まって。それは自分が願ったことではあるけれど、自分自身のことではなくて。
私一人ではできないことで、人の協力が必要なことでした。
そして、その日に自分の中には今までなかった2つの考えに出会って。一つはこれから少しづつ理解していきたいと思うのですが、もう一つはある人の書いた文章の中から。
自分自身のダメと思っていたところが、はっきりとそうではないんだと思えるような、やわらかな眼差しの救われるような言葉に出会い、自分の中にある豊かさに気づいて。
そこから、固まっていた雪が溶けて水になって流れ出すように加速して。
ちょうどそのタイミングでドキュメンタリー映画を見たりしていたので、そこからもたくさんのことを思って。
それがどんどん言葉になって、思わず豪速球で人に投げてしまったり。受け取ってくれた人がどんな風に感じているかはわからないから、どきどきしたり、、。
久々にたくさんの感情を味わい、お腹がいっぱいです。