写真を撮りながら、その後に考えたこと
2016.09.18 Sunday
今週、撮影のために訪れた場所で、見たこと、感じたことが今も自分の中の大きな何かを占めている。
凄く当たり前のことだけど、人は死ぬその瞬間まで生きている。
仕方がない、出来ないと思っていることが、ちょっとした工夫や考え方を柔らかくすることで、出来るようになったりする。
何ヶ月か前に介助をしていた人と外で会った時に、その人は車椅子を自分で運転していた。
私が介助をしていた8年間は、その人は外では介助者に車椅子を運転してもらっていた。
私はてっきり、その人が外で車椅子を運転する能力(集中力や体力)が衰えてしまったからなのかなと思っていた。
でも新しく、軽量なもので自動と手動に切り替えられる車椅子に変えたら、その人は外を生き生きと自分で運転する人になっていた。私はそのことに衝撃を受けた。
自分が長い間、その人のことを外では運転できないと思いこんでいたことも、車椅子という外側、ハードの少しの変化でその人の自由度がこんなにも大きく変化したことにも。
来週はラブホテルで撮影。
人は、仮面をつけて虚構を生きている。本当の自分なんてないのかもしれない。
ラブホテルと言えば、永田カビさんの「さびしすぎてレズ風俗に行きました レポ」という漫画を読んだ。
母親との問題、人とのコミュニケーションの問題、性のこと、漫画家として生きたい、作品や人に認められたい、あまりにもいろんなものがぎっしり詰め込まれているので、読んだ感想の言葉はすぐには出てこない。
全然反応できなくて、「セックス」というのが、「やっぱり高度なコミュニケーションだったんだ・・・」「知らなかった・・・」「ごめんなさい・・・」と主人公がぐったり横たわっているシーンに、自分もなんか前から、セックスって、すごい難易度の高いコミュニケーションで、すごいハードル高いものでは、、?というか、コミュニケーションの究極?と思っていたので、共感する部分はあったけれど。
私も年上の女の人にぎゅっとされたい。
夏が終わる
2016.09.12 Monday
たまたま知り合った女性が沖永良部島の出身で、懐かしい神戸の宮本通り、赤十字、八幡さんなどの言葉を聞く。
その人の叔母さんの家が私が一時期住んでいた、祖母の家の隣の隣という、思わぬ偶然に驚き、久々に家族と電話で話す。
人と人との出会いの科学反応により、コップの水が溢れ出すような感情を久々に味わう。
これが生きているってことなのか。生々しい感情。
中野スタジオあくとれで、内木英二さんと平野綾子さんの二人芝居「父と暮らせば」を見る。
内木さんは本当に味のある、素晴らしい役者さん。秘かにファンである。
冒頭の、写真を撮るたびにピカを思いだし、写真屋を廃業する男の人の話。昔のストロボの強く発光する光。
自分は写真を撮っているけれど、その二つの光を繋げてイメージしたことは今までなかった。
今頭の中でずっと、その二つの光が重なっている。
生き残ったものの苦しみ、生きていることが申し訳ないと思う気持ち。自分は幸せになってはいけないのだと、頑なな主人公の心を励ます、今は亡き父親。
誰かが誰かに幸せになってほしいと心から願う気持ち。何か自分も、忘れかけていた。
外の風はもう涼しい。
花の名前
2016.09.04 Sunday
先日、スーパーの花売り場を見ていたら、70代ぐらいのカップル?が隣で花を見ていて。
どうして、その二人が夫婦ではなく、恋人同士に見えたかというと、とても瑞々しくて、二人で一緒にいることが本当に嬉しそうだったから。
まぁ、実際の関係はわからないので、あくまで想像なのですが。
長年連れ添った夫婦にある、あぁ、もうそれ、それでいいよ早くしてよみたいな感じが全くなくて。
花も飾りましょうねと、ご婦人が男性に花の名前を教えながら、いろいろ説明していて。
二人が選んだ花がこの花だった。わりと日持ちもいいのよって。
ご婦人が言っていた、この花の名前は間違っていたけれど、そんなことは二人にも私にもどうでもいい。
スーパーの一角で、窮屈そうに透明なラップに覆われていたこの花が急に、とても色っぽく、エキゾチックでロマンチックな花に見えて、すぐ隣で私もこの花を手にとっていた。
二人は、私が「日持ち」に反応したと思ったかもしれないけれど、なんかあてられたのです。二人の熱量に。
今日、花を見ながら、自分もあのぐらいの歳になっても、あんなに嬉しそうな顔をして誰かを見ることがあるのかな?
そして、花の名前を教えながら、あんなに愛おしそうに自分を見てくれる人がいるのかな?
できれば、歳をとってもそんな女性でありたいと思いながら。