メメント・モリ

2015.09.28 Monday


 
インターネットで読んだ、「誰もが写真を学んだほうがいい5つの理由」という記事の中で、自分の中にすっと入ってきた、スーダン・ソンタグの言葉。


すべての写真はメメント・モリである。写真を撮ることは、他人の死、弱さ、移ろいやすさに参加すること。すべての写真は、瞬間を正確に切り取って凍結することで、無慈悲にも溶けゆく時の証拠となるのだ。
── スーザン・ソンタグ


誰かの人生に参加すること。私はいつも一緒に揺れ動いてしまう。でも、だから撮れる写真もあるんだろとうと思っていたい。

 

豊かな孤独

2015.09.21 Monday

園子温さんの映画は実はあまり得意ではないのですが、園さんの書かれた本、「けもの道を笑って歩け」はまた映画とは違った味わいのあるものでした。

その中で老人の孤独死のことについて書かれているところがあって、「孤独死」と呼んで、独居老人の死を不幸の極みのように描くことに、疑問を呈しているところがあって、ひとりでも、満ち足りて死んでいった人もいるはずだと。
「孤独死」という言葉が死者への敬意を欠いていると。


「他人の死を「孤独死」とか言う前に、人の目を気にして幸福の「絵作り」に励んでばかりで手遅れになる前に、自分と自分の関係性を見つめなおすことが必要です」

この言葉に、自分の中で忘れかけていた「豊かな孤独」という言葉を思い出したのです。
そして、死の間際までも人と繋がり続けなければいけないといつのまにか、また思いこんでいた自分にハッとして。

繋がりすぎることから一歩距離をおいて、自分の大切な時間を増やしたいと思い、春頃から思い切ってiphoneを辞めて、ガラケーにしてみました。
もちろん、スマートフォンは便利ですし、仕事などで必要な方も多いと思います。
私の場合は、移動中もスマホばかりを見ていたり、旅行に行っても今調べなくていいものをだらだらと見ていたり。なんだか、時間を奪われてしまっているような気がしてしまって。
その時間を景色を見たり本を読んだりするようになって、すごく気持ちも楽になって落ち着いて。
きっと、「味わう」ということをもっとしたいんだなって。

 

秋色探し

2015.09.20 Sunday

make&photoで一緒に活動している、黒滝清香さんのこのブログを見ていたら、私も秋色を探してみたくなりました。

カラフル ハピネス ダイアリー

 








写真にとっても色は大事なものですが、色って面白いですね。色から感じる何かってもともと人間の中に備わっているものなのでしょうか。


黒滝さんのメイク教室が9月27日(日)に巣鴨の百歳王写真館であります。
自分の肌や髪の色、目の色などに合わせて、似合う色を提案してくれます。
メイクって自己流になりがちで、人に教えてもらって、自分ってこういう色も似合うんだ!って知ることもあったり。
詳しいことはこちらから。

巣鴨「百歳王写真館」の日々

 

わっぱ弁当

2015.09.15 Tuesday


 

私は長年、お弁当作りというものがとても苦手でした。苦手というより、どうすればいいのかさっぱりわからず、一つのタッパーにご飯、もう一つのタッパーにおかず。または、一つのタッパーにチャーハンや焼きそばなどを詰めてみたり。
おかずが二品になると、おかずのタッパーは2つに増え、果物などのデザートを持っていこうものなら、小さなタッパーがもうひとう増え、やたらかさばってしまい。
たまに、品数が多く彩りの美しい愛妻弁当を持っている人を見ると、奥様はフードスタイリストか何かのプロ!?と、感嘆の眼差しでちら見していました。
去年、夫が店をオープンしてから、お弁当を持っていくようになり、なんとなくお弁当を作るようになりました。
夫が汁漏れ防止に自分で買ってきた白い、両脇にパッキンがついている、しきりのあるお弁当箱を使うようになり、ご飯とおかずをわけて、なんとなくお弁当のような体裁に。
ただ、なんとなくなので、やる気のないお弁当でした。メインはしょっちゅうレトルトのミートボールみたいな。
子供の頃はこのレトルトのミートボールが凄く好きだったんですけど。
そんな私がここ最近、なぜか積極的にお弁当作りに興味を持ち。どうせなら、見た目も美味しくしたいと思い、本やインターネットで研究。
そういえば夫が昔、東北に取材に行った時に頂いた、まげわっぱの弁当箱がずっと台所の戸棚に眠っているのを思いだし。
たぶん一度も使われていなかった、まげわっぱ。何度か洗って風通しの良いところで干して、ようやくデビュー。
高さのあるお弁当箱って、どうやって詰めたらいいのかわからなかったのですが、おかずを縦置きにしたら、すごい立体感が!
基本的にお弁当作りは10分ぐらいで出来る範囲で。このお弁当のメインは前の日の晩御飯にお肉屋さんで買ってきた、コロッケとメンチカツの残り。
2〜3日分の作り置きをしている野菜の常備菜を入れて、後は卵を焼くだけ、、。そう、基本は卵を焼くだけ。
でも、わっぱのおかげか今までとは見違える感じに?
日々の中でも、今まで出来なかったことが出来るようになるって嬉しいですね。

 

ナラティブホームの物語

2015.09.06 Sunday

最近、読んだ本。「ナラティブホームの物語 終末期医療をささえる地域包括ケアのしかけ」佐藤伸彦/医学書院
自分のための覚え書きのメモメモ。

ちなみに「ナラティブ」ってよく聞くけれど、「物語」という意味なんですね。

やさしさの閾値
「やさしくしなさい。認知症の方も一人の人間だから」」と言うことはたやすい。しかし、問題なのは「やさしさ」という言葉だけでは限界があるということではないか。やさしくなれる「閾値」が人によって異なり、皆が同じようにやさしくなれることはないのだから。しかも、その閾値はその人自身の置かれた環境に大きく左右される。時間的にも体力的にも金銭的にも余裕があれば、人間、やさしくなれる閾値は低くなる。
先ほどの例ではないが、たった一人で、夜間・深夜に認知症の方のお世話を努力しているのに、思うようにいかず、暴力を振るわれる。そんな環境の中では、その人の「やさしさ」の閾値はとてつもなく上がっているだろう。そんな状況でもやさしくできる人がいるかもしれない。しかしその人をもってすべての人もできるはずだと強要することは許されない。そういう閾値が上がる状況を作り出した施設の体制自体も問われなければならないだろう。

他人に対するやさしさやケアをする気持ちは、決して「本能」ではない。しかも、義務や使命感でもない。誰もがもってはいるが、人それぞれに生まれつきもっているもの、生きていく中で培ったっものも、その中身は違う。しかも環境に容易に左右され、移ろいやすいものである。


「家で死にたい・畳の上で死にたい」という隠喩
ものがたり診療所は、強化方の在宅支援診療所である。しかし、在宅での最期が一番よいとは思っていない。一般に終末期のアンケートを行えば、必ず「家で死にたい」という意見が多く出てくる。ただ、そこで浮上する言葉「家で死にたい・畳の上で死にたい」というのは、一つの隠喩(メタファー)ではないのだろうか。
実際に病院から家に帰っても、今やベッドで過ごす患者さんがほとんどだ。ただただ病院ではなく、固有の思い出が詰まった自宅の空間や風景、そして空気、そういうものの中で、関係性のある人にささえられて最期の時間を過ごしたいという感覚を、「家で」「畳の上で」という言葉に託しているのだと思う。
「どこで最期を迎えたいですか?」という問いの立て方が間違っている。どこで、誰と、どのようにして、最期を迎えるのかを選べる時代にしなくてはいけないと思っている。


 

熱海

2015.09.02 Wednesday

なんとなく好きな町って、ありますよね。私の場合、それが熱海だったりします。
去年、熱海で泊まったところが良かったので今年も行って来ました。漫画のたくさんあった宿です。

その時のブログ⭐︎

宿にチェックインをして、さぁ、漫画を読むぞ!と漫画のコーナーへ行ったら、あれ?漫画がない、、。
受付の方に聞いてみたら、改装中で漫画を撤去しているとのこと。そういえば、漫画のあったコーナーが綺麗になって、宿泊するための部屋も増築されている。
自分の中で、漫画を読んで温泉に入ってごろごろするという目的の旅だったので、しばらくこれからどうしようと固まっていたら、受付の方がお見せできる状態ではないんですけど、会議室に漫画を放り込んでいるので、もしよろしかったら見て頂いてもと声をかけてくれて。
前のようにたくさんの本棚から探すことは出来ない状態でしたが、目についた漫画を適当にたくさん持って部屋へ。
双子の姉妹が一人の男性を巡ってどろどろとか、BLとか、おたんこナース(時間がなくて2巻まで)いろんな本をぱらぱらと読んでいましたが、「鈴木先生」という漫画がすごく面白かったです。すごく変わった漫画ですが。
去年は朝の4時ごろまで漫画を読んでいたので、起きたらチェックアウトの15分ぐらい前で美味しいと噂の朝食を食べることは出来ませんでしたが、今年は1時前には寝ていたので、朝食もちゃんと食べられました。
寝ていたというか、気が付いたら電気をつけたまま寝てたんですが。
朝食は鯵の干物が美味しくて、ご飯も一人一人おひつに入っていたり、ひじきや煮浸しなどちょっとしたおかずも、小さな可愛い小鉢に一つ一つ入っていて御膳の上が楽しい感じで、なんかこういうのってすごく嬉しくなりますね。
古い宿だし、決して綺麗とかではないのですが、そのかわりにちょっとした手間や工夫、ホスピタリティをすごく感じられるところで、とても心地よく過ごせました。
私も毎日は無理だけど、たまにはこんなふうな朝ごはんにしてみたいなと妄想が膨らみ、そういえば浅草橋の問屋街にこういう小鉢がたくさん売っていたので、見に行ってみようとか思ったり。

今回は小田原経由で行き、小田原で美味しそうな梅干しを小野さんのお弁当用にとお土産に買い、電話でそのことを伝えたら、「梅干しなんていらない!!干物買ってきてよ!!」とご立腹の様子だったので、熱海土産に干物を。
駅前温泉浴場の少し先にある、地元の方向けの小さな鮮魚店。見るからに美味しそうなイキの良さそうな魚が並んでいて、手作りの干物もとっても美味しそうで。
とても美味しそうなかますの開き、かますの丸干し、やっぱり鯵もと鯵の開きにみりん干し。鞄に入れてちょっとくしゃっとなってしまいましたが、この包装紙もとても素敵です。デザインが格好いい!
ちなみに、かますの丸干しは1尾80円〜100円。お値段もお手ごろ。
さっそく帰って干物を晩御飯に頂きましたが、口うるさい小野さんも美味しい。こういうのがいいとご満悦でした。

 

行きの日は小田原でお昼に海鮮ものでも食べようかと思ったのですが、人気のお店はどこも行列。
結局、インターネットを見て気になった、餃子の美味しいらしい中国東北料理の「氷花餃子」というお店へ。
私、どんだけ中国東北料理が好きなんでしょうか?

 

辛い酸っぱい麺。ビュジュアル的に凄い辛そうですが、あんまり辛くありません。味もめちゃくちゃあっさり。
 
 

 

こちらが、自慢の水餃子。皮がもっちりで美味しかったです。ただ、どちらも凄いボリュームがあり、かなりお腹一杯でした。
水餃子とビールぐらいがちょうどよかったのかも。もしくは水餃子と焼き餃子とか。
でも、知らない町で初めてのお店に入るのって、楽しいですね。想像つかないところも。
また、小田原にも行きたいです。


 
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