「ここに生きる」展覧会の葉書

2011.04.25 Monday

 


「ここに生きる」の展覧会の葉書が出来上がりました。

*喫茶おとら  *3331アート千代田 
*カメラのキタムラギャラリー 
*PLACE M    *サードディストリクトギャラリー 
*Roonee  *エイブルアートギャラリー  
*堀内カメラ(新宿御苑店)

上記のお店に葉書を置かせて頂きました。
もしお店やギャラリーに立ち寄った際に、手に取って見て頂ければ嬉しいです。

還暦

2011.04.23 Saturday

 明後日、母が還暦を迎える。
花を送るつもりだったのに、まだ手配していなかった。

今母は、母の妹と姉からの還暦のプレゼントで3姉妹で沖縄へ行っている。



こんな楽しそうな写メールが届いた。

母は去年、仕事を辞めるまでずっと働きづめだった。
家族の中でも一番早くに家を出て、一番遅くに帰っていた。
夜中や明け方にトイレに起きると、母が台所で料理を作っていて、びっくりすることもあった。
人の一生に関わるような仕事で、しかもその責任者で、すごく大変だったと思うけど、家ではいっさい仕事の話も愚痴も言わなかった。
そもそも人の悪口を全く言わない人だった。
でもストイックな人ではなく、女性としてとても華やかなところがある。
いつもすごいなと思っていたのは、マネキュアのこと。
人と接する仕事なので、普段は目立たない色をつけ、休みの時だけ真っ赤な色を塗る。
ちゃんと休みの晩には地味な色に塗り直していて、これがけっこう出来ないものなのです。
私なんていつも、とれかけ状態。

母が働き続けてくれたから、何の心配もせず、東京で写真を勉強することが出来たとのだと思う。(父も働いてくれていたけど)
夏の展覧会が終わったら、母と二人で旅行に行きたいと思っています。




心を灯す旅

2011.04.17 Sunday

 

今週の火曜日発売の週刊朝日に、般若心経と、「ここに生きる」でも撮影させて頂いている、詩人の松兼功さんと夫の小野庄一さんとのコラボレーションの作品が8ページ掲載されています。

5月10(火曜)〜15日(日)まで秋葉原のアート千代田3331内のエイブルアートギャラリーで展覧会もあります。


この展覧会を皮切りに、我が家では8月まで展覧会月間に突入します。
毎月、夫か私が展示をしている予定です。




昨日は、あまりに暑かったので、冷たいものを飲みました。
ZARAで半袖のTシャツも買いました。



2011.04.14 Thursday

 

その後、次の日に那覇の「うりずん」へ行くという、浩子さんたちに合流させてもらったり(うりずんはずっと行ってみたい居酒屋でした)
浩子さんが会いたいという、私が前に撮影させてもらった京都の方とを繋げることができたり、土の宿で会った泊まり客の女性の方と2日続けて、那覇の町でばったり会ったりということが続きました。
「うりずん」でもご一緒した京都の方から言われた、のまれるな、潰れるな(お酒ではありません。人に対してのことです)という苦言も胸につきささりました。


日々のことを淡々と日記に書くことに憧れて、書いてみましたが、すごく長くなってしまいました。
読んでくれて、ありがとうございます。

ヌチドウタカラ

2011.04.14 Thursday

 


伊江島へ行く時、戦争のことを考えないわけにはいけませんでした。
土の宿へ行くことは、阿波根昌鴻さんの「ヌチドウタカラ」(いのちこそたからの意味)へ行くことでもありました。
戦争で、あんなにたくさんの人が惨い死に方をしないといけなかった理由は本当にない。


夕方、一人で「ヌチドタカラ」を後にして、ぼーっとしながら、土の宿で借りた自転車に乗って、島をうろうろしていたら、港まで迎えにきてくれた宿の人とばったり。




馬を見に行くことをすすめられ、行ったその先で、とても貴重な与那国馬に乗せてもらうという体験をしました。

土の宿

2011.04.14 Thursday

 



今回、土の宿に辿り着いたのは夕方近く。
1泊して、次の日の朝10時のフェリーで本部港へ戻った。
宜野湾に戻り、撮影の予定があったから。
本当に、ほんの少しの時間しか伊江島、そして土の宿にいなかったのに、あまりに多くのことを感じ、考え、たくさんのことを受け取り、今も全部はまだ、噛み砕けないでいる。
木村浩子さんにお会いできたこと、本当に大きかった。
短い時間の中に、木村さんの自立生活への覚悟がうかがえる場面が何度かあった。
それは同時に、他者への思いやりでもあった。




土の宿にカフェを作っている、最初のところ。

伊江島

2011.04.12 Tuesday

 






伊江島

2011.04.12 Tuesday

 

コザから名護のバスターミナルへ向かい、そこから本部港へ。
バスを降りようと思ったら、細かいお金がない。
どうしよう、どうしようと焦っていたら、バスの入り口に座っていた女性が、「伊江島まで行くの?お金、私が払っとくね」と言って、千円を出してくれた。
港に着いて、船が出るまでに時間があってまだ券売所があかず、チケットを持っていたその人は伊江島から戻った船にさっさと乗ってしまい、お金払います!と声をかけたら。
「顔、覚えたから大丈夫よ〜」って。
もう、この時から伊江島への旅は始まっていた。



コザ

2011.04.12 Tuesday

 

ごーやー荘のオーナーに教えて頂き、近くのコザの農連市場へ。
朝ご飯と昼ご飯に、かまぼことチーズののり巻き、そーめんチャンプルー、いなり寿司の小さいの6個パックを購入。どれも一パック、100円でした。
あと、ちんすこう激安のスーパーも教えて頂きましたが、今回は荷物が多かったので、我慢。
ごーやー荘の表のテーブルで朝ご飯。
腹ごしらへをして、伊江島へ。






宜野湾からコザへ

2011.04.09 Saturday

 

ホテルのチェックアウトを終え、那覇バスターミナルへ向かう。
那覇バスターミナルにはこの仲島の大石と歌人でこの近くの仲島遊郭の遊女であった吉屋チルーの碑があります。
吉屋チルーのことも気になりますが、沖縄で地域生活をしている人たちに会いに、バスに乗り込み宜野湾へ。
いつもこの瞬間、緊張しているのです。
はじめての相手の方に写真を見てもらい、撮影の主旨をお話して、被写体のお願いをする時。



無事に、約束の時間と場所に辿り着き、電話でお話していた方に会えたとき、その方がとっても優しい印象の方だったのと、場所の持つゆったりとした空気に肩の力が少し抜けている自分がいました。
被写体のお願いに関しては、最初、みなさんとってもシャイですごく遠慮されていたので、難しいのかなと思ったのですが、一人の方を撮影することになったら、次から次へと希望者が。
タイミング的に、今日しか難しいという方もいて、もう今撮るしかない!と。
なにかその時にすごく、自分の中でのメーターを振り切ったのです。
いつもは、けっこう自分を守りがちなのですが。
こうやって出会えたことを、今ここにこの人がいることを撮りたい!と。
もうすごく集中して、最後の撮影を終えたら夕方近くになっていました。

撮影を終えて、宜野湾から宿のあるコザへの移動。この道のりがとても心配だったのですが、帰るバスの方面が一緒の方がいてとても助かりました。
この方には、本当に気持ち的に助けて頂きました。ありがとうございます。




その日のコザで泊まった「ごーやー荘」
ここがとってもいい宿でした。
沖縄の古い家。畳の部屋。共同のキッチンがあります。
ここで完全に力が抜けてしまいました。