還暦
2011.04.23 Saturday
明後日、母が還暦を迎える。
花を送るつもりだったのに、まだ手配していなかった。
今母は、母の妹と姉からの還暦のプレゼントで3姉妹で沖縄へ行っている。
こんな楽しそうな写メールが届いた。
母は去年、仕事を辞めるまでずっと働きづめだった。
家族の中でも一番早くに家を出て、一番遅くに帰っていた。
夜中や明け方にトイレに起きると、母が台所で料理を作っていて、びっくりすることもあった。
人の一生に関わるような仕事で、しかもその責任者で、すごく大変だったと思うけど、家ではいっさい仕事の話も愚痴も言わなかった。
そもそも人の悪口を全く言わない人だった。
でもストイックな人ではなく、女性としてとても華やかなところがある。
いつもすごいなと思っていたのは、マネキュアのこと。
人と接する仕事なので、普段は目立たない色をつけ、休みの時だけ真っ赤な色を塗る。
ちゃんと休みの晩には地味な色に塗り直していて、これがけっこう出来ないものなのです。
私なんていつも、とれかけ状態。
母が働き続けてくれたから、何の心配もせず、東京で写真を勉強することが出来たとのだと思う。(父も働いてくれていたけど)
夏の展覧会が終わったら、母と二人で旅行に行きたいと思っています。
心を灯す旅
窓
2011.04.14 Thursday
その後、次の日に那覇の「うりずん」へ行くという、浩子さんたちに合流させてもらったり(うりずんはずっと行ってみたい居酒屋でした)
浩子さんが会いたいという、私が前に撮影させてもらった京都の方とを繋げることができたり、土の宿で会った泊まり客の女性の方と2日続けて、那覇の町でばったり会ったりということが続きました。
「うりずん」でもご一緒した京都の方から言われた、のまれるな、潰れるな(お酒ではありません。人に対してのことです)という苦言も胸につきささりました。
日々のことを淡々と日記に書くことに憧れて、書いてみましたが、すごく長くなってしまいました。
読んでくれて、ありがとうございます。
宜野湾からコザへ
2011.04.09 Saturday
ホテルのチェックアウトを終え、那覇バスターミナルへ向かう。
那覇バスターミナルにはこの仲島の大石と歌人でこの近くの仲島遊郭の遊女であった吉屋チルーの碑があります。
吉屋チルーのことも気になりますが、沖縄で地域生活をしている人たちに会いに、バスに乗り込み宜野湾へ。
いつもこの瞬間、緊張しているのです。
はじめての相手の方に写真を見てもらい、撮影の主旨をお話して、被写体のお願いをする時。
無事に、約束の時間と場所に辿り着き、電話でお話していた方に会えたとき、その方がとっても優しい印象の方だったのと、場所の持つゆったりとした空気に肩の力が少し抜けている自分がいました。
被写体のお願いに関しては、最初、みなさんとってもシャイですごく遠慮されていたので、難しいのかなと思ったのですが、一人の方を撮影することになったら、次から次へと希望者が。
タイミング的に、今日しか難しいという方もいて、もう今撮るしかない!と。
なにかその時にすごく、自分の中でのメーターを振り切ったのです。
いつもは、けっこう自分を守りがちなのですが。
こうやって出会えたことを、今ここにこの人がいることを撮りたい!と。
もうすごく集中して、最後の撮影を終えたら夕方近くになっていました。
撮影を終えて、宜野湾から宿のあるコザへの移動。この道のりがとても心配だったのですが、帰るバスの方面が一緒の方がいてとても助かりました。
この方には、本当に気持ち的に助けて頂きました。ありがとうございます。
その日のコザで泊まった「ごーやー荘」
ここがとってもいい宿でした。
沖縄の古い家。畳の部屋。共同のキッチンがあります。
ここで完全に力が抜けてしまいました。