「まんぷくスクラップ」という言葉の通り、浜井さんが中国全土を食べ歩いた圧巻の数の料理の写真と説明に楽しいエッセイ。
2008年に発刊されているので、今は当時の値段や様子とは少し違うかもしれませんが、本当に読んでいて楽しい本でした。
こういうアジア系料理のライターさんたちは猛者ばかりですよね。私も食べることが好きですが、足元にも及ばないです、、。
この本を読んだら、またいろいろ食べたくなって、西安とかにも行ってみたいなと思いました。
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先輩カメラマンから確定申告のアドバイスを色々受ける。
お勉強が終わったあとは、鶯谷の「粉吉うどん」へ。予約を受けていないお店なので、17時前に並んで入ることができました。
竹の子やそら豆を焼いたものを食べて、春を感じました。
他にもお腹いっぱい、いろんなものを食べました。しめのうどんも一人一品づつ。もちろん美味しい日本酒もいろいろ。
美味しいものを食べると、明日からまた頑張るぞ〜!という気持ちになりますね。
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広州・マカオ旅行の前日と帰ってきた次の日に仕事の撮影があり、その納品が終わるまではと気が張っていたのか、納品が終わったら少し体調を崩してしまい、しばらく省エネモードでした。
熱もないし体調は悪くはないのですが、一度咳が出たらなかなか治らず。昔からこのパターンなので普段からスティックの龍角散を飲んで喉を守っているのですが、、。
広州、マカオは本当に美味しいものだらけでした!もうずっと食べていて。
このブログにも写真をたくさん載せたいのですが、今回の旅行で一部記事になる予定のものもあるのでまずはそちらから。
今回の旅はきっと私がおばあちゃんになっても、楽しかったなと思い出すようなそんな旅になりました。
広州へ行ったのは春節の終わったタイミングでしたが、街には春節の飾りがまだ残っていました(木にぶら下がっている赤い飾り)
広州は食だけではなく花の都でもあり、暖かい地方なのでいろいろな果物も豊富で。広州では果物もたくさん食べました。
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不登校新聞2024年3月1日号
絵本作家の五味太郎さんを撮影させて頂きました。五味さん本当にかっこよかったです!!
記事は全文公開されていますので誰でも読むことができます。
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中国から戻ってきました!
広州からマカオへ行き、マカオからまた広州へ戻るために珠海(中国本土)へ入ろうとしたら、私の持っている中国ビザは1回の入国のもので、再び中国へは入れないので、新しいビザが必要だと言われ入れず、一人でマカオへ戻り、、。
いろいろあり、帰りの飛行機にギリギリになりましたが、なんとか帰ってこれました!
またこの件については詳しく書きますね。
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新宿のシネマカリテで香港映画を見ました。この映画のことを知ったのは伊勢崎町の喫茶あずまでモーニングを食べていた時に読んでいた週刊誌にこの映画が紹介されていたからでした。
私は何も知らずに見ましたが、主人公のタクシー運転手役のアンソニー・ウォンさんはベテランの香港では有名な俳優のようでした。
できれば映画サービスデーの水曜日に見たいな、、と思っていたのですが。
たまたま水曜日の夜に新宿の南口に用があり、映画上映の3分前にカリテの前を通りがかり。あ!見たかった映画だと思い入館。この映画本当に見てよかったです。
「香港は難民の国際中継地であり、毎年、数千人の難民がこの街で政府の承認を待っている。この長いプロセスには10年以上かかることもある。
ハッサンはパキスタンから香港にやって来た両親の下に生まれ、香港で育ったが、自分の将来がここには絶対にないことを知っていた。彼の唯一の夢は家族とともにカナダに移住すること。だが、突然の交通事故で父親が命を落としてしまい、彼の夢も打ち砕かれた。
チャン・バクヤッ(陳白日)は1970年代に本土から香港に密入境し、現在はタクシー運転手として働いている。香港で警察官になった息子のチャン・ホン(陳康)とは、あまりうまくいっていない。
父親を失ったハッサンは、難民で構成されたギャングに加わるしかなかったが、警察によるギャング対策に巻き込まれ、追われる身となってしまう。バクヤッはハッ サンの逃亡を手伝うことを決心し、二人の間には絆が芽生え始める。
しかしハッサンは、バクヤッが父親の死亡した事故を引き起こした運転手であることを知る。ハッサンとバクヤッの関係、そして逃避行はどうなるのか…。」
映画作品のホームページより。
この映画を見終えて、何が正しいことなのかよくわからなくなりました。香港で難民状態にあるハッサンの家族。父親はパキスタンでは弁護士で土地を奪われた人を弁護したため、脅迫や暴力を受けパキスタンにいることができなくなってしまった。
香港で恵まれない環境の中においても彼は自分の正義、信念を守ろうとした。きっと彼が独り身だったらそれでもよかったのかもしれないけれど、子供たちをもっと良い環境で育てたいと思う奥さんの気持ちもわかるような気がするし、息子は日常茶飯事のように犯罪に手を染めていくし、、。
タクシー運転手の主人公は本当に自分勝手だし、、。映画の中に出てくる人たちは誰が信用できるのかもよくわからないし、、。
そんなに正しくもギラギラもしていないけれど、それでもこの映画の中で人が生きている感じがしたのです。
個人的に主人公の息子役の方(エンディ・チョウさん)がかっこよかったです。本業はミュージシャンだと映画を見た後に観客の女性グループの人たちが話していました。
演技が上手すぎない(失礼?)もすごくいい感じでした。この方の出ているメイキングと映画の様子が少しわかる映像があったので載せておきますね。
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前にこの、すんみさんという方の翻訳した本を読んだ記憶があり。著者とともにこのすんみさんという翻訳者の方も好きなのかもしれないなとか考えながら。
この本は短い幾つもの話から成り立っている。別れた恋人たちの関係も軸になりながら、途中のお話はソフトSFというのでしょうか?ここではないどこか。空想のような話でもあるけれど、どれも現実の生活にリンクしているような不思議な読後感を残す。
空想かもしれないし、恋人たちの話かもしれない、これはフェミニズムの話なのかもしれないし、狂気的なストーカーの話なのかもしれない。
でもけっしてバラバラではない。すべてのことは繋がりあって、今目の前に立ち現れる。
この独特な浮遊感のようなものの心地よさと、現実の息苦しさが混じり合いながらも、あきらめないしぶとさを感じることができるような小説でした。
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中華街で広東料理のお店「南粤美食」へ行ったのですが、週末だったためか予約のみ(2名からの)でした。残念。
南粤美食のすぐ裏になんだか気になるお店が。
立ち食い蕎麦??台湾料理の立ち飲み??もしかして、ここの台湾料理は美味しいのでは?と自分のセンサーが働き入ってみました。
(モヤさまにも出たことのあるお店のようでした)
立ち飲み(椅子も少しあり)値段は一律500円。
まずは、瓶ビールを。
このガツや豚耳などの盛り合わせ。
台湾のスパイスがしっかり効いて美味しかったです。
2杯目はジャスミンハイ。
2品目に注文した魯肉飯がとっても美味しかったです!台湾で食べる魯肉飯ってこういう感じですよね。小さめのお椀に肉のみ。ちゃんと豚肉の皮も入っていました。
その時にいたお店のお姉さん(すごく優しい方でした)は日本人だったので、なぜこんな本場な魯肉飯を?と聞いてみたらお料理は台湾料理の本店から持ってきているとのことでした。
いつか本店にも行ってみたいです。
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時が経つのが早いですね、、。
横浜へ行った時に、伊勢崎町の喫茶あずまでモーニングを食べました。
高齢の店主さん、お客さんもおじいちゃんが多かったです。手のあいた時でいいからとさりげなく、店主を気遣うおじいいちゃん。
そのおじいちゃんが歩く時に、ゆっくり歩いてと気遣う元気な高齢の女性。
店内はゆったりとした時間が流れていました。
私もコーヒーをおかわりして週刊誌を読んで、普段の朝とは違う時間を過ごしました。
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誕生日プレゼントにもらったワンコの名前、一瞬しろ(仮)みたいになりかけていましたが、
ある朝急にひらめいて「みゅーみゅ」になりました。
みゅーみゅと一緒に横浜へ。
中華街にも行ってきました。久しぶりの中華街は中国料理好きにとっては素晴らしいところでした。
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中国のビザ取れました。書類に色々不備がありましたが、携帯の中に情報があれば(飛行機の搭乗書など)ビザセンターのパソコンに添付したメールを送り、目の前のプリンターに飛ばしてくれて、その場でプリントアウトすることができたのでなんとか書類を揃えることができ申請できました。
高確率で、色々書類が足りない人が多く(ホテルの予約証明書とか)パソコン係の人は忙しそうでした。
久々にゆりかもめに乗りました。
ゆりかもめに乗るときは必ず先頭に乗る人。
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羽根木公園に梅がたくさん咲いていました。大好きなアランチャでケーキを買って一人でお花見をしました。
携帯で撮った梅の写真を何人かの人に送りました。満開の花の写真を見て顔がほころぶことありますからね。
写真を見ると冬の光ですね。前はあんまり冬の光が好きではなかったのですが、冬の光もなんか味わいあっていいですね。
家の近くの桜も花を咲かせる準備をしているようです。花が咲く前にためているエネルギーってすごいですよね。
怖い時もあるぐらいです。
ここのところ騒がしいあるニュースを見て、今まで自分の中で思っていたことが本当にそうなのかな?って思うようになって。
きっとたくさんのかき消されてきた声があって。
自分の中の考えをもう一度更新する時期なのかなと思って、静かに一人で色々考えていました。
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私が初めて行った外国は中国の上海です。二十歳ぐらいの頃、チベットに行くために一人で大阪から鑑真号という船に乗り、上海に着きました。そこから電車で四川まで向かい、チベットへ行きました。
あの時、上海に降り立った時に感じた喧騒、パワーそして旅の間中に感じた優しさ。
きっとその時の原体験が、何か中国的なものを求めてしまうのかもしれません。
去年、ふと公園で隣り合った小さな女の子が私のことを「あのお姉さんは旅の人だと思う」とお友達に話していました。
私がリュックを背負っていたことが、その子にとって旅行者に見えたようで。
彼女は自分の言ったことを確認するように私の目をじっと見つめてきたので、黙って頷きました。
二十歳の時に上海に行った時からずっと旅をしているのかもしれないとその時に思い始め。
今回は初めての広州へ行ってきます。神戸で食べていた中華料理が広東料理だとここにも書きましたが、ついに本場の広東料理を食べる機会が訪れました。
帰省する広州人の知人がすでにお店を何店もリストアップしてくれています。
今回は広州から近い深圳、深圳から船でマカオへも行く予定です。深圳は昔テレビで見て、中国経済の発展の象徴でもあるこの街をこの目で見てみたいとずっと思っていたのです。
マカオは20年以上前に家族で香港へ行った時に次はマカオに行ってみたいと思っていました。その後、京橋のINAXのショールームでのマカオのポルトガルタイルの展示をみて、いつかこの目で見てみたいと思っていました。
今、伊能すみ子さんというライターの方の「マカオ行ったらこれ食べよう!」という本を読んでいるのですが、この本が素晴らしく。
写真を撮っている女性カメラマンの写真もとても良くて。(ここ大事)
マカオはポルトガル料理も食べてみたいですが、ミャンマーやインドの影響を受けたカレー料理もたくさんあるようです。
思いきって、深圳とマカオに行きたいと伝えたところ快く承諾してくれた知人にはどれだけ感謝をしても足りないです。
今、中国は日本へのVISAの免除措置が停止されているので、9ページのも及ぶVISAの申請書を用意したり、中国はほとんど現金は使わないということで、支払いのためのアプリを入れたり、連絡をとるためのWeChatを入れたり準備中です。
今年は何かそういう経験を写真や文でこのブログだけではなくどこかで発表できたらいいなと考えています。
アジアに強いライターさんなどとも知り合いになりたいです。
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誕生日プレゼントに友人が大好きなビジョン・フリーゼのぬいぐるみをプレゼントしてくれました。
可愛すぎます。角度によっていろんな表情に見えます。
ただいま、名前を考え中です。
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いろいろなことが起こり、落ち着かない気持ちの人も多いと思いますが、、。
今年もよろしくお願い致します。 矢部 朱希子
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ホームページのギャラリー「台わんこ」アップしています。
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台北では龍山寺に泊まり、近くの屋台で前から気になっていた「豬血糕」を食べてみました。
中国語で猪は豚です。これは豚の血を固めた餅?血の入った餅ってどんな味??と思いますよね。
食べてみたら全く血の感じがなく、癖もありませんでした。ピーナッツとパクチーがまぶされ、普通に美味しく感じました。
日本に帰って、友達が「小魏鴨脖」に行きたいというので一緒に行った時に、この血の餅の入った麺を食べてみましたが、やはり全く癖がなかったです。以上、報告です(誰に?)
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朝、前にたくさんの人がお経を読みながらお祈りしているのを見て、そのぐらいの時間に龍山寺に行ったのですがまだ早かったようで、、。
先に近くの有名店、「周記肉粥店」というお店で朝ごはんを食べました。行列していることもあるそうですが、たまたま席を立つお客さんがいて、すぐに入れました。
首からカメラを下げていたので、すぐに写真入りのメニューをくれました。
肉粥ともこもだけ(甘い台湾マヨネーズ添え)、カイラン!を発見し、カイランも注文しました。あの東京の広東料理のお店で食べた野菜ですね。
名物の叉焼。
珍しいので鮫も頼んでみました。プルプル好きの私には好きな味でした。一人で朝からこんなに食べてるの?と思われるかもしれませんが、肉粥は小さめのお椀にほぼスープ状ですし、おかずは全て小皿で少量なので、、全然食べれると思います!
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台湾のあの甘いマヨネーズがけっこう好きです。このマヨネーズが食べたくて、台湾に行く時はサンドイッチを食べたりしていました。
ずっとこのマヨネーズを買いたいと思っていたのですが、いつも家楽福(カルフール)で探せなくて。
12月に行った時は、思い切って店員さんに聞いてみました。「マヨネーズ」って思いっきり日本語なんですね、、。
聞いた人は?でしたが、そばにいた別の店員さんがすぐにあれだ!と気づいてくれて、案内をしてくれ。
バターとかチーズのあたりを探しながら、あれ?と。私もいつもそのあたりは見ていて。あった!と見つけてくれたのは冷蔵の味噌の横でした!なかなか見つけられないはずですね。
自分の分二つとこういう味が絶対に好きだろうなという友達の分、合計3本を無事に購入することができました。
日本に帰ってから、ハムサンドなどを作る時にこのマヨネーズを時々使って、台湾気分を味わっています。
ちなみに私が行く家楽服は調べてみたら、桂林店のようでした。西門からも龍山寺からも歩いていける距離です。
今回は最後の日に、久しぶりに西門をうろうろしてみました。最初にツアーで母と台湾に行った時に泊まったのが西門のホテルで、次に一人で行った時も少しだけ土地勘のあった(全然わからないですからね、、)西門に泊まったので、最初は西門とかを中心に動いていたんですよね。
あのちまき屋さんでちまきを食べたなとか、あのチャイナシューズの店に入りたかったけど勇気がなくて入れなかったなとか思いながら歩いていました。
今回はそのチャイナシューズの店に入ってみました。いいなと思ったデザインの欲しかった靴の色がなかったので購入はしませんでしたが。
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林 奕含さんという作家の「房思?の初恋の楽園」という本。
この本は「初恋」という言葉で連想する甘酸っぱいお話ではなく、13歳の少女が先生と呼ばれる、人間の心を持たないような男から受けた性暴力と同じマンションに住む彼女たち(房思?とたましいの双子と呼ばれるもう一人の少女の存在がある)が憧れる、伊紋という夫から暴力を受け続ける2人の女性の話が軸になっている。
房思?は少女、伊紋は大人の女性ではあるが二人はよく似ていて、ともに美しく聡明で何よりも本、文学が好きだ。
ずっと読んでいて陰鬱な気持ちになるのは、このような二人の思慮深く、じっと口をつぐんで誰にも何も話さずに自分の中で起きていることを意味づけしたり、理解しようとしたり受け入れようとする様が相手とってはとても好都合になってしまっていることだ。
読むのがとても辛いけれどそれでも本を閉じないで(本を閉じないでという作者の願いでもある)読み続けようと思えたのは、作者の描く言葉、比喩や何かを表す言葉がイマジネーションに溢れていてとても美しく、もっとその言葉を味わってみたいと思う力がこの本にはあったからだ。
葉っぱの上を転がる、球体の水の雫のような彼女の言葉たち。暗闇の中からも言葉を探し続ける房思?。言葉が彼女の最後の砦の自尊心を守り、そして言葉が彼女を壊してしまったのだろうか。
房思?と伊紋は似ている部分もあるけれど、それぞれの結末は全然違う。それは房思?がまだ13歳の少女で、伊紋は大人の女性だったからなのかと考え続けている。
本の最初に、これは実話をもとにした小説であると書かれている。
まだ若くて本当に美しく聡明なこの作家はこの本を出版してすぐに、自の命の火を消してしまった。
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aramahoshi2023☆gmail.com
お手数ですが、☆マークを@に変更してください。
よろしくお願い致します。
矢部朱希子
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が、、写真がないのは(あるんですけど、、)店内飲食の列に並んでいたのですが、夜も遅いし15分ぐらい待って、そっと外帯(テイクアウト)に並びなおし購入してホテルで食べたんですが、テイクアウトはビニール袋にボン!と入れるスタイルでした。
食べにくいので、ホテルのコーヒーカップに入れて食べました。
味は日本人の好きな間違いない味です。とっても美味しかったです。
基隆には、沙茶醤という中国から来た東南アジアのような調味料とカレー粉を合わせたカレー焼きそばを出すお店がいくつかあるようで。
阿華炒麵のカレー焼きそばはあんまり沙茶醤感がなかったのでわかりませんが、そういう焼きそばを出す通りもあるみたいです。
中国から来た調味料とカレー粉。カレー粉には諸説あるようですが、基隆に日本人が多く住んでいたからという説もあるみたいです。
前回台湾に行った時に、東京に戻ってから沙茶醤を購入しました。この癖の強い調味料を使いこなしたい思いがあり。
私的には好きなカレー、焼きそばが一番いいのかなって。
なのでただいま、このカレー焼きそばを研究中です。
焼きそばを食べる前に、日が暮れる前にチェックしていた点心のお店(豆花の三兄弟の通りの屋台)で点心も食べました〜
点心の屋台ってあまりみない気がしますし、点心がとても美しかったです。
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前回、次に食べたい!と書いていた基隆廟口夜市の蟹のおこわ。椎茸がたくさん入っていました。
この豆花と甘く煮た芋が食べたくて、今回はトッピングは芋のみのものに。「三兄弟」に再び。
台湾ファミマで売っている焼き芋もこれと同じ種類の芋なのかな?と食べてみたり。
朝ごはんに仁愛市場の2階で気になっていたお寿司を食べてみました。
基隆は港町のせいか、町中でも日本のお寿司やさんをよくみます。
朝はまだ開いていないお店も多かったですが、何店かは営業していました。
こちらは仁愛市場とは別の1階には魚屋さんなどが並ぶ建物。
ふと2階に何かあるのかな?と上がって見るとお洒落なカフェがたくさんありました。
今回は食べるために行ったわけではないのですが、、。
前回、食べれなくて心残りだったものを食べてきました。私は執念深い女。
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特に若い女性(すごく聡明な人たち)との出会いから、自己肯定感をしっかり持っていろいろなことを心から楽しむことを学びました。美味しいものを食べることとかもそうですね。
遅ればせながら、こんなふうに生きたらいいんだなと思えて、そのことが写真の撮り方にも影響し。
自分でも撮る写真が変化してきたなと思っています。
私はいつも、東京にはたくさんの人がいて、その中で誰かと出会うことってすごく奇跡のようなことだと思っていて。
だから縁があって出会った人たちを大切にしたいなって思っています。(それも彼女たちから学んだこと)
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台わんこの写真増えています。
ただいま、ギャラリー準備中です。
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ようやく少しだけ何かをつかみかけた気がするので、再びあの場所へ。
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かっこいい、、!!
キリンジの新しいアルバムを買おうと思っています。ある時期から新しい音楽の聞き方に対応できていない私は今度CDラジカセを買おうと思っています(家電量販店に行くとけっこうCDラジカセ売っているんですね)
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父が好きだったのかなと思うのですが。
小学生ぐらいだったのかな、甲子園に阪神の応援に行った帰りに龍園という台湾料理の店に父と行き食事をしていると、試合を終えた阪神の選手たちが龍園に来たことがあり。
さっきまで応援していた阪神の選手たちが目の前にいることに、子供ながらに嬉しくないわけがありません!たぶんすごく興奮していたと思います。
今でもその時の父の嬉しそうな顔が思い浮かぶぐらいです。
残念ながら龍園は閉店しているようですが、息子さんたちがそれぞれ独立して台湾料理のお店をされているようです。
関西に帰ったら行ってみたいですね。
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秋葉原のヨドバシカメラでカメラ関係の探しものがあり、秋葉原からも歩いても近い浅草橋の「海港美食」という広東料理のお店でお昼を食べました。他にも点心を2つ頼み、一緒に行った人とお料理をシェアして食べました。
家の近くにも香港麺や焼豚やダッグをお昼に気軽に食べれるお店があるといいな。
関心を持っている栄養学の先生が、好きなものを美味しいと感じながら食べると免疫が上がると言っている記事を読みました。
免疫力を上げていかなくては!
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影が長い。
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今年は浅草の酉の市に行ってきました。
浅草の酉の市は本当に賑やかですね。
今も残る、祝祭の空間。
周りから歓声が出るぐらい大きな熊手を担いで帰る人たちも。
毎年、酉の市が来ると今年もあと少しだなと感じます。今年は新小岩に行った後に三ノ輪に住む友人と落ち合い、久しぶりに浅草の酉の市へ。
夕方前の少し早いタイミングだったので、そんなに待たずに参拝できました。それにしても浅草の酉の市は本当にたくさんの熊手のお店がでて賑やかですね!
今回ゆっくり熊手のお店を見ていましたが、お店によって熊手の雰囲気も違い面白かったです。
熊手を買った人へのお店の人からの手拍子とかけ声。これがとっても好きなんです。商売繁盛を願い華やかな気持ちになり、来年も頑張ろうという気持ちになります。
酉の市の周りには遠くまで続く屋台。私たちもたこ焼きを食べたりしました。子供もはしゃいでいましたが、お祭りはやっぱり大人も楽しいですよね。
この日は古い記憶を頼りに、酒の大桝へ。普段はお酒の販売店ですが、酉の市の時だけお店の中で飲めるようになるようで。
おつまみも販売されていて、お店で売っているお酒を店内で飲むこともできます。
私たちも大きなテーブルで日本酒を飲みました。帰る時にはなんとなく同じテーブルの人たちと軽い挨拶も交わし。
お客さんも下町のレジェンド的な粋な方が多かったです。
東京も街によって色々な顔があって、面白い街ですよね。
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昔、この辺で出来立ての豆乳と揚げたての油条を食べに行ったなぁ〜(10年以上前?)と思い、まだお店あるかな?と調べたら、このお店がヒットして。
ちなみに昔行ったお店は新小岩ではなく亀戸だったようで、新小岩に来たのは初めて?
この中華面食はオープンした時から話題になっていて、行ってみたいなと思っていたんですが、なかなかこちらの方面に来ることが最近はなく。
東東京に住んでいた時は錦糸町とか亀戸とか時々行くこともあったのですが。
そうか、新小岩にあったのか!!今回行けるのでは?と思ったら、広東料理のお店からもとっても近く。ようやく行くことができました。
お店の方が日本語が堪能で一つ一つのパンの説明をしてくれました!
一番左の南京のパン。板状の砂糖が入った「じゃりじゃりしたパン」を購入。
撮影の許可をとり、少し写真を。
台湾の蛋黄酥(タンファンスー)も購入。
このタイプのお菓子は食べたことがありますが、塩卵黄入りの蛋黄酥は初めて食べます。
あと、この腸詰や後ろの大きいパンも購入。
お店の人の言うとおり、パンはレンジでチンしたらふわふわに。
カレーと一緒に食べたり、腸詰に挟んで食べてもいいと言っていました。
次はこのしょっぱい系も食べてみたい。
なつめと黒糖カステラの切れ端や、お店の人のいうサクサクしたクッキーも購入。本当に食べてみると「じゃりじゃり」していたり、「サクサク」していたりでその日本語力や、丁寧に説明してくれるその営業努力がすごいなと思いました。
このブログを見てくれている人ならおわかりだと思いますが、私はこの手の中国の粉物が本当に好きなのです!
普段はパン屋さんで自分のためにこんなにたくさんパンを購入することはないのですが、もう今回は特別。それだけ興奮して嬉しかったのです。
家に帰ってパンたちを食べましたが、味ももちろん美味しかったです。また新小岩に行かなくては!
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元町の牡丹園 別館(と呼んでいたけど正式名は別館 牡丹園?)や六甲道の東亜食堂。特に東亜食堂は祖母や親戚との集まりでも行っていて、思い出深いお店。
なのでそういう料理がベースにあるせいか、自分の作る料理も知らないうちに広東料理みたいになっているようです。
広東料理で見かける(神戸では)ミンチとビーフンを揚げたものをレタスで包んで食べる料理とかも家で母も作っていたので。
ちなみに母は家で肉まんを手作りで作っているようです。
そんな私が広東出身の方と知り合いになり、ここが美味しいらしいと新小岩の「唐家」というお店に行ってきました!
本当は高田馬場の広東式のお粥しゃぶしゃぶのお店へ行く予定で予約をしてもらっていたのですが、お店が違う中国料理の店になるようでキャンセルになり。
でも結果、この新小岩のお店に来ることができたので、よかったのかも。
最初に薬膳的なスープを。このスープに入っているのは朝鮮人参ではなく広東の人参。
とっても珍しいそうです。
海老ワンタン麺。この細い麺が大好きです!
「カイラン」という野菜の炒め物。日本にカイランがあるの?と驚いていました。
私も初めて食べましたが、この炒め物自体も美味しかったです。
三人だったので色々頼めました。
この太麺の焼きそばも美味しかったです。
5つの中から3点を選んだ盛り合わせ。ダックとローストポークと叉焼。
広東ではこのローストポークの味でその店のレベルがわかるそうです。
デザートには熱々のエッグタルト。
広東出身の人も美味しい!と大満足のようでした。もちろん私も。広東料理は味付けが優しいですよね。
広東出身の人に料理について色々教えてもらえたのもとっても楽しかったです。
あとお店の雰囲気もアットホームで、あ、なんかこういう感じに見覚えがあると小さい頃を思い出してデジャブ感がありました。
この後はこのすぐ近くにある、日本で唯一の?中華パンのベーカリー「中華面色」へ。別腹で台湾のお店で豆花も食べました〜。
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こんな夜中にハードディスクから、今までに台湾に行った時に撮った写真を見ている。
初めに行った時は、もうなんでも目に写るものを撮っていた。夜にバスから見た景色。高速道路の灯りが綺麗だなと執拗に写真を撮っていたり。
2019年には3回も台湾に行っているのに、見返して見るとその時に撮っている写真は「全然撮れていない」
でも何かを撮ろうとして、動き回っていたことはその写真たちから伝わってきた。何を見ているかもよくわからず、焦っている感じすらして自分で見ていても、ちょっと苦しい感じがする。
今撮っている写真とは何かが全然違う。自分自身の気持ちの持ち方とか、そういうことも大きいのかな。
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このところ、夜になるといそいそと家へ帰り、テレビを見ながら阪神タイガースの応援を!
最初の三試合は集中しすぎて、息が荒くなりすぎたりも、、。
毎日の応援でけっこうぐったり。でもオリックスの選手もたくさんいい選手がいるな〜とか野球を見ること自体がとても面白かったです。
最後の日(昨日)はビックカメラで一番安いものですが、シャンパンを購入。優勝の祝杯に備えていました。
なんといっても38年ぶりですから!!
勝って父に電話をしたら、泣いているので話せないから一旦切ると、感極まっているようでした。
そして弟から送られてきた父の写真は裸でした、、。今11月やでな!と思いつつ、私も暑くてクーラーを入れていたので血なのかな。
阪神タイガース日本一!本当におめでとうございます!!
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今日、11月5日(日)までの展示、東京都写真美術館で行われている「風景論以後」を昨日、見てきました。
写真展示自体も興味がありましたが(今後、風景を撮るうえで見ておいてよかった)今回、この企画展に足を運んだのは、足立正生監督が撮った、永山則夫の見ていたであろう風景を撮影したもので構成された映画を見るためでした。
友人でずっと永山則夫死刑囚に関心を持ち続けている人がいて。私はまだよくその人のことについては知っていないのですが、見たであろう風景だけでどうやって、90分近くも映画を成り立たせるのだろうと、そのことに関心をもち。
友人は風景ばかりで寝てしまった、、と言っていましたが、風景って撮った人の意図を超えてこちらに伝わることもあって。
昔の街の様子を見ながら、あ!ここってあそこかな?とか思う瞬間が何度もあり、たぶん監督が伝えたかったことは私にあまり伝わっていないと思いますが、当時の街の様子や息遣いを興味深く見ていました。
写真美術館の横にいろんなお店ができていました。
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解など見つからないなかでひたすら「かかわりの捉えかえし」を繰り返す日々、その先に何が見えるのか…
多摩とたこの木クラブ、その40年をこえるストーリー、そして自らの15年におよぶ「かかわり」の中から、「他者」とともにあるということ「ともに生きる」ということ、その困難とそれでもの希望を根源から問いかける。
やや長いまえがき
第1章 やりとりを重ねながら
1 何を目指し、何をなしてきたのか
2 たこの木クラブと多摩地域の「ともに生きる」運動
3 やりとりとして捉えかえす
4 「ともに生きる」試みの内実へ
第2章 就学運動は何を問うていたか
1 多摩の支援ネットワークの出発点
2 養護学校義務化と就学運動
4 学校をどう捉えるか――エンパワメントか再生産か
5 サブシステムの生成と、その批判と
6 その後の展開
7 排除に抗するとはどういうことか
8 排除への別様抵抗を求めて
第3章 自立生活の始まりと展開
1 子どもから大人へ
2 知的障害や自閉の人の自立生活と支援――身体障害との違い
3 「情報」「伝達」「理解」のズレ
4 「生活をまわす」
5 「生活を拡げる」
6 地域とのコンフリクトに向き合う
7 生活や日常の意識化と「待ったなし」
第4章 やりとりを通して折り合いを探る
1 支援会議では何がなされているのか
2 「人」とみなしたとしても
3 ダブル・コンティンジェンシーのかかわりと幅を拡げる
4 目に見える「人格」や意思のむこうがわ
5 捉えかえす訓練と経験知の生成
6 やりとりに引き戻す
7 「最終ライン」の存在があってこそ
8 「ともに生きる」試みの軌跡
第5章 生活モデルの時代に
1 生活モデルへの転換
2 専門家だけでなく――支援者像の豊饒化
3 システム化しきらない制度設計
4 「ともに」ある場づくり
5 制度のありようと社会のありようと
第6章 それでも「社会」であり続ける
1 「暴力」をどう考えるか
2 「わからない」人たちの排除
3 「暴力」は偏在する
4 「社会」であり続けることなら
5 「ともに生きる」とはどういうことか
6 おわりに――引き継がれるものは何か
補遺 「調査」の概要
あとがき
文献
三井さよさんの新刊が出ました!多摩の「たこの木クラブ」に関わり続けた15年間の間に、三井さんが考えてきたこと。
台湾から戻り、本を送っていただいていましたが(ありがとうございます!)遅ればせながら、今読み始めています。
三井さんの本は、わかりやすい言葉で読みやすく書かれているものもありますが、今回はがっつりと研究者としての本のようです。
なので、じっくり読ませて頂きます。とても楽しみです。
読み始めて、リュックに入れているので少し折れたりしていますが、、。遠江好子さんという方のカバーイラストと本の装丁もとっても素敵なので、本の写真も載せておきますね。
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空港へ行く前に、最後にもう一度龍山寺へ。
再び台湾に来れたことに感謝し、また台湾に縁がありますようにと。
龍山寺に美猫がいました。
ハレーションがおきるほどの強い光。
そんな台湾の光を集めながら。
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台湾滞在最終日、台北に戻る前に美麗島のホテルからも近い鴨料理のお店に。
鴨肉飯と鴨肉切盤の小。スープは量が多かったら、、と思い冷たい冬瓜檸檬茶を頼みました。
実は前日の夜に行こうとしていて、このへんかな?と通りの大きな果物屋さんで聞いていたら「スリーピン」と寝ているジェスチャーで教えてくれて。
私がウロウロしていたのは21時過ぎで、店は20時までのようでした。そうかぁ、、残念と思っていると教えてくれた女性が「オーナー!!」と。なんと果物屋さんの前を鴨肉店のオーナーが通りがかり。
私は次の日に行けたら行きたかったので店の前まで行ってみようと思っていたのですが、オーナーも店の前まで一緒に来てくれて。
次の日に本当に来ると思っていなかったのか、店に行ったら少し驚いていました。
鴨肉食べたかったのですが、部位とか量とか調理方法とかも選ばないといけないのかな?と思うとハードルが高いなと思って台北であきらめた経験があり。今回は台湾ブロガーさんのブログを読んで、これを食べようとめぼしをつけていて。
オーナーは日本語が少し話せるので、わからなければ教えてくれたかもしれませんね。恰幅がよく優しそうな男性でした。
鴨肉、味がしっかりしていて美味しかったです。お店もとっても綺麗なのであんまりローカルすぎるところは得意でない人を連れて行っても大丈夫なお店かなと思いました。
帰りにオーナーが日本語で「気をつけて帰ってくださいね」「高雄の人は優しいですよ」と伝えてくれました。
こちらのお店も高雄にまた来ることがあれば訪れたいなと思いました。
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高雄に行くのは実は二度目でした。最初に母とツアーで台湾に行った時に高雄へも行きましたが、有名な虎のところにいき(蓮池潭)その後にツアーの皆さんと昼食を食べ、少しだけフリータイムもあったのかな?でもトータルでも滞在時間はほんの何時間かだったと思うので、台湾の人に「台湾のどこに行きましたか?」と聞かれた時に「高雄」って言っていいのかな?と思っていたぐらいで。
でも、虎のところを見てバスの止まっている駐車場へ向かう短い時間の間に、私はこの街がきっと好きだろうなと思っていました。
なんせ暑いし、暑いところ特有の街の表情。なんとなく沖縄にも似ているなと思いました。
私が暑いところとその街の空気や食べ物が好きなのは、母方の祖父母が奄美の小さな島の人たちだったからなのかもしれません。
私がとても惹かれてしまう景色はこんなふうに植物の生命力に圧倒されるときです。台湾ではそういう景色を本当によく見ます。
あと古い建物が好きなので、まだ高雄のほんの少ししか見れていませんが高雄には古い建物がたくさんあり、建物の窓枠やタイル、そういうものを見ているだけでも面白くて。
これから今まで撮りためた写真と今回撮ったこのブログなどには掲載していない写真を合わせて、ギャラリーなどで発表できたらいいなと思っているので、今後はその作業に集中していこうと思っています。
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前日の旗山で自助餐にトライして無事に食べることができたので勢いづき、次の日は高雄駅のすぐそば(高雄客運のバス乗り場近くです)にあるインドネシア料理の自助餐へ思いきって入ってみました。
最初はお店のインドネシア人?の方が中国語で話していたのがわからなかったですが、テイクアウトか店かを選び、あとは他のお客さんの様子をみながら、、。
ちょうどお昼がスタートしたようなタイミングだったので料理もたっぷりありました。
お菓子もたくさんありました。
あれもこれもととったので、料金はレジの女性の目分量的な感じに?
このインドネシア料理がとっても美味しかったんです!!
高雄は暑いのでこういうスパイシーな料理が特に美味しく感じました。
また高雄に行くことがあったら、ぜひもう一度行きたいです。
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今回、アナログに「バナナ畑はどこにありますか?」と若い女の子たちに聞いたら、ここで聞けばいいんじゃないかなと教えてくれた老街にあるバナナショップ。ここでお会いした男性は農家でバンドマン。「台青蕉楽団」というバンドでギターを弾いている方で、日本にもライブで来たことがあるそうでした。
ちなみにここで購入したバナナチップスも今までに食べたことのないフレッシュな感じで美味しかったです。
教えてもらったところに行き、昔の製糖工場の後なども見ました。
この曲もPVもとっても素敵です!
台湾光華雑誌の「故郷に青春の種をまく」という記事にも活動が詳しく掲載されていました。
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旗山で「自助餐」と呼ばれるセルフ式ご飯やさんにトライしてみました。
私が入ったのは店じまいをしようかというタイミングだったようで、料理は少なめですが。
「スリー」と言われたので3品おかずをとり、ご飯はよそわれていました。
ずっとトライしてみたかった自助餐。
勢いづき、次の日はインドネシア料理の自助餐にもチャレンジ。
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旗山はかつてバナナで栄えた街のようで。
これはかつて鉄道が通っていた頃の駅舎。
せっかくなのでバナナ牛乳を飲みました。
本当はこういう古い建物がとても好きなので、またゆっくり訪れたいです。
(バナナ畑を探していて、頭が一杯だった)
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高雄二日目は今回の私の旅の目的でもあった旗山へ。
MRTの高雄を降りて地上に出て、この現在地のない地図を見てしばらく固まり。
台湾で道に迷ったら、顔を上げれば自分のいる道路の名前がわかるので
旗山客運のバスの案内所までなんとかたどりつきました。
案内の地図に事前にメモしていたバスの番号はありませんでしたが、
旗山客運の出るGまで辿り着ければなんとかなると思い。
旗山のバスターミナル。
あるバナナ農家の若い女の子を主人公にした台湾の小説にインスパイアを受け、バナナの畑を見てみたい、イメージした写真を撮りたいという思いがありました。
でも実際に台湾に着いたら、ハレーションを起こすぐらいの鮮烈な光と人々の温かさにたくさん触れ、東京の小さな部屋で頭の中で作り込んでいたイメージの写真を撮る気には全然なれなくて。
この日ずっと撮りながら迷い続けて、小説のイメージではなく、私が惹かれている台湾の街並みや鮮烈な光を撮っていこうと最終的には思い、次の日からは今までの写真の撮り方も変え広角の28ミリをメインに街の風景を撮ることにしました。
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人だかりができている屋台があり、見ると台湾料理の中で最も好きな大腸包小腸!
なにかチャンピョンカップが飾ってあるお店でした。もちろん食べました!
大好き!台南担仔麺。茶碗ぐらいの小さいサイズなのも嬉しいです。
牡蠣のお好み焼き。この日は高雄初日ではりきり?
ショーケースの小皿料理なども2品ぐらい外帯(テイクアウト)しました。
高雄三日目の夜、ぼーっとビーフン食べたいと六合夜市の屋台で頼んだら素食の店でした(肉なし)
素食も食べてみたかったので、これはこれで良かったです。
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ホテルからすぐの六合夜市。
中秋月の日にはゲームの屋台も出ていました。
今回は中秋月の日の台湾を見ることも楽しみの一つでした。
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犬好きな私は台湾で出会う犬が可愛すぎて、密かにずっと犬のスナップを撮っています。今回もけっこう撮りました。
こんなふうにカメラを向けるとこっちに来てくれる犬も。
ちなみにこのこは旗山で撮影したワンちゃんですが、旗山ではスクーターの足元にゴールデンレトリバーをを乗せている人も見かけました。びっくり!
台湾の犬シリーズもホームページのギャラリーにアップしたいと思っていますが、まだこの台湾のブログも途中、、。
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彩虹眷村からバスで高鉄の台中に戻り、友人とはここでお別れ。
友人は高鉄桃園へ、私は高鉄左営(高雄)へ向かいます。
高雄滞在、ホテルの最寄り駅のMRT美麗島。この写真は後日撮影しました。
この駅は「世界で最も美しい駅」2位に選ばれているそうです。
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高鉄の台中駅(台鉄だと新鳥日駅)に戻りタクシーで15分ほどの「彩虹眷村」へ。
今回友人がとても行きたかった場所です。
取り壊す予定だった建物のようですが、今ではたくさんの人が訪れる観光地に。
この絵を描かれた黄伯伯さん。現在100歳!お元気そうでした。
この後、ガードマンの方が一緒に写真を撮ってくださりました。
老兵はここにいる。
彩虹眷村について詳しく知りたい方のために台湾ナビのリンクを貼っておきますね。
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台中旧駅舎側の駅の側でお昼を食べました。
ベトナム料理のお店がたくさんありました。
ベトナムやインドネシアの人むけのフルーツやハーブを売る店も。
お昼に食べた台湾料理もなんとなく味付けがベトナム風?
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三日目は高鉄(新幹線みたいなもの)に乗り台中へ。
高鉄台中駅から接続する台鉄(ローカル線)に乗り換え台鉄の台中へ。
近代的な台鉄の台中駅。
台中へ来たのは初めて。この古い駅舎が見たくて台中駅の旧駅舎に来ました。
活版の工房もありました。
友人も私も、車輌を見てこれは何年に作られた何々型だ!みたいなマニアックなことはわからないのですが、鉄道やバスなどの乗り物、駅やバスターミナルなどがとても好きで。
移動しているだけでも楽しかったりするのです。
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3日目はホテルの近くのこんなところで朝ごはん。だったのですが、メニューを見てもそれが何なのか全然わからない、、
わかるものもあるのですが、それ一択ではなくせっかくなら選びたい!
そこでGoogleアプリのカメラで読み込み、翻訳ボタンを押して無事になんとかこれは、ハンバーガーか!これはベーコン入りだなと理解し注文することができました。
Googleアプリで道に咲いている花の名前を調べることはよくありましたが、こんな使い方も便利ですね!(友人が旅の途中で教えてくれました)
ちなみ私はハンバーガーを頼みましたが、野菜がたっぷりで袋から出したら野菜がこぼれてしまうので、この写真は友人が頼んだものです。飲み物は二人ともミルクティーを飲みました。
今回の旅で、携帯のデータローミングするとお金がかかると聞いて、データローミングせず、Wi-Fiけっこうあるでしょう!と気楽に構えていたのですが、けっこう肝心な時には入らなくて、、。道が調べられない、、みたいなこともあり。
でもそのおかげで、人に聞くというアナログな方法でいろんな出会いもあり。
でも次はGoogleアプリの翻訳機能を使って、街中のいろんな言葉を読んでみたいので、ポケットWi-Fiをレンタルしようかなと思っています。
日本に戻ってから、親切に朝ごはんのメニューの漢字の読み方、意味を紹介してくれている記事を発見しました。
目指せ台湾の朝ごはんマスター!台湾旅行で食べたい定番の朝食&注文方法まとめ 台灣指南ROMYさんの記事
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でした。
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ポスターを見ていたら、面白そうな映画がたくさん。
この映画祭はもう36回目みたいですし、名前も何度か聞いたことがあったのに、こんなに魅力的な映画かたくさん上映されていることを知りませんでした。
何度も上映をプログラムを見ていますが、見たい映画がたくさん。
今現在はイランの若者の現状を描いたという映画「ロクサナ」のチケットを購入。
あともう一つぐらい見たいと思っているんですけど。台湾の映画とかもいくつか上映されるようですし、「KIDNAPPED」や「ライ麦のツノ」「スルタナの夢」なども見たいなぁ。
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小田急電鉄が鉄道会社発のオルタナティブ・スクール『Aoiスクール」を運営しているそうです。
不登校新聞の記事はこちら。
野澤さんの記事ともにライターは棚澤明子さんです。
設立の立役者となったのは不登校経験のある2人の運転士さんのようです。
不登校の子供の数が29万人と言われている世の中で、不登校がいいとか悪いとかの話で終わってしまうのではなく、たくさんの学びの場があり、ドアを開いてあなたに会いたいと思っている大人がいるということも知ってほしいなと思いました。
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不登校新聞2023年10月15日号
起立性調節障害のある二人の娘さんをもち、起立性調節障害のことをもっと多くの人に知ってもらいたいと当事者団体「Kiku-Ne」を立ち上げられた、野澤菊枝さんを撮影させて頂きました。
起立性調節障害ということに私自身も理解があったわけではなく、なんとなく朝起きにくようなイメージがありましたが、「起きたいときに起き上がれない病気」、「寝たい時に眠れない病気」という表現を聞き、こういう言葉で伝えられると、それがとても大変なことだと伝わってきて。人によって」症状の違いはあるようですが。
娘さんが、「横になった状態から立ち上がって4分後に血圧が急降下して「上が30、下が13」という見たこともないような数値が出て、意識が混濁してしましました」(記事より)のお話も実際に聞いていて、数字で聞いて本当に驚いてしましました。
血圧の下が13って、、。例えばこういう状態の人に気づかずに無理をさせてしまったら、、と思うと。
野澤さんのお話は大変なことの話だけではなく、この障害を理解してもらうために自ら行動していくこと、そのことで起きた家族の変化。
当事者のまわりの人たちが、どんなことができるのかというお話でもあると思いました。
(一部有料記事になります)
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2日目の夜はずっと行きたかった台湾居酒屋「熱炒」へ!
一人だとなかなか行けないので、、
メニューの種類はたくさんあり、日本語メニューもありました。
羊肉のサテソース炒め、塩漬け豚とハナニラ炒め。
メニューかぶったかな?と思いましたが全然違う味で、どちらも美味しくて!
外に並んでいた海鮮から、イカを茹でてもらいました。
すぐ側のテーブルの豪華料理。
お客さんが来る直前に料理がセットされていました。
大好きなしじみの醤油漬も!このあと紹興酒をボトルで飲みました〜
ビールは冷蔵庫から自分で持ってくるスタイルです。
これは18日間しか賞味期限のないビール。
日本の台湾居酒屋でも定番の切り干し大根の入った卵焼き。
1センチ角ぐらいに切った、コリコリした歯応えのある切り干し。
日本で食べるものとは全然違う感じで、美味しかったです。
しめの海鮮焼きそばも麺が柔らかくて美味しく。
最初に母とツアーで行ってからはずっと一人で台湾へ行っていたので、食堂にもお酒の置いていないことの多い台湾で、女性一人で外で飲酒するのはハードルが高く。
たま〜にコンビニで缶ビールを1本買って、屋台でテイクアウトしたものや市場で買ってきたおかずをホテルの部屋で楽しんだりするぐらいでした。
こういう料理を食べながらお酒を飲むという、私のささやかな夢がようやく実現しました。友人のおかげで今回の旅では今までできなかったいろんなことを楽しむことができました。
その友人がトイレに行っている間に急にお店が暗くなり、、。店内にハッピーバースデーの曲が流れ始め。
若い人たちのグループが誕生日祝いにケーキを用意していて。カメラマン的反射で思わず写真を撮りに行ったのですが、そのあと私たちにもケーキのお裾分けが届いて!とっても美味しいチョコレートケーキでした!ありがとうございました。
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基隆からバスに乗って九份にも行きました!
(途中、一度乗り換えて)
2回目の九份。雨の多いらしい九份ですが今回は晴れでした。
パクチーの入ったアイスも食べました!
友人もですが、パクチー抜きの人もけっこういました。
この写真を撮った後に、テイクアウト用に巻いてくれました。
帰りのバス停、ここでいいのかな?と迷っていたら、日本人と親切な台湾人の方(ガイドさん?)がバス停にいて、その方たちのおかげでスムーズにバスに乗り無事に台北まで戻ることができました。
降りるところも、地下鉄の路線図を見せてくれて、この駅のところで降りたら便利と教えてくれて。
台湾の人にとってもバスのアナウンスが小さくて聞き取れなかったようで、運転手さんにここに着いたら声をかけてくださいとお願いしてくれたりもして。
そごうで中秋節の月餅を見ると言っていたので、私たちもそごうの側の同じバス停で降りることにして、みんなで一緒に下車してお礼を言って別れました。
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