「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。

2019.07.15 Monday

小川たまかさんの「「ほとんどない」側から見た社会の話を。」を読んで、自分自身の思いを巡らしたことの続き。

 

「手を伸ばさなかった話(2)」を読んで思い出したこと。

 

これは20代の前半の頃、小川さんが買い物をして帰る途中に見た暴力、DVの話。

 

この何年か、ふと急に夫にDVを受けているという話を打ち明けられることがあった。受けている暴力の凄まじさに思わず、話を聞いて泣いてしまったこともあった。泣くことがその人に対して失礼なことはわかっていたけれど。

その人たちのことを感情の起伏の激しい、不安定な人だと思っていた。特に、ミスを伝えた時に見せる過剰さが気になっていた。

でも置かれている現状を知り、必死で今の生活を変えようと戦っていたことを知り、その人のことを一面的にしか見ようとしなかった自分を恥じた。

なにか自分にもできることがあれば協力したいと思っていた矢先、その人はいなくなってしまった。

 

「警察行く行かないの話&行っても意味ないのかとかの話」

そんな前ではない、駅のホームで泥酔している若い女の子が、男性に付きまとわれていた。通りががかった警官にそのことを伝えたが、さんざん長いあいだ引き止められたあげく、最後に警官から言われた言葉で、警察は守ってくれないと思ってしまった。

いろいろ、悔しかった。きっと実際に被害にあって、警察にも法律も守られないと悔しい悲しい思いをしている人はたくさんいるのではないかとその時思った。

 

 

「取材と暴力」

普段、性暴力などのテーマを取材する小川さんが自分が取材を受けて感じたこと、最後に書かれている言葉。決意ととても大事な話。

取材と暴力に関しては最近、不登校経験のある当事者の人を撮影する時に、私もこういうことを考えています。カメラの前に立ってくれた人を傷つけてしまうのではないかと。転載された媒体のコメント欄とかを読んでいても。

だから、カメラの前に勇気を持って立ってくれる人に本当に敬意を。

 

 

肝心な本のことを書かずに、自分のことをつらつらと。

で、何が言いたいかというと、きっとみんな本当は感じたり見たりしているのだと思う。

見なかったことにするのも一つの生き延びる方法かもしれないし、見ないふりをして生き延びないといけない時もあるかもしれない。

でも見ないふりできない、したけどひっかかっている。そういう人にこの本を読んでほしいなと思って。