歎異抄

2018.03.24 Saturday

 

 

ある、脳性まひの障害を持つ男性の方の今まで生きてきた、とても大切な話を聞かせていただいていて。

その中でその人にとっての大切な思想、そのことを少しでも理解するために「歎異抄」という親鸞の言葉や考え方を弟子の唯円という人が書きとめた本を読み始めました。

 

例えば、、第十三章にある、

 

「さらば、いわんことたがうまじきか」と、かさねておおせのそうらいしあいだ、つつしんで領状もうしてそうらいしかば、「たとえば、ひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と、おおせそうらいしとき、「おおせにてはそうらえども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしとも、おぼえずそうろう」と、もうしてそうらいしかば、「さてはいかに親鸞がいうことをたがうまじきとはいうぞ」と。「これにているべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといわんに、すなわちころすべし。しかれども、一人にてもかないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」

 

う〜ん、、わかるようなわからないような。激しく誤読してしまいそうだし、自力解読は難しそうなので、いくつか歎異抄について書かれた本を読んでみたり。

その中でも、詩人の伊藤比呂美さんの「たどたどしく声に出して読む 歎異抄」を読んでみたら、この本が凄く面白くて。

歎異抄を伊藤さんが訳しているのですが、ケセン語で聖書を訳している山浦玄嗣さんという方の「マッテァたより」を読み、ゆうきをだして、「阿弥陀仏」を「むげんのひかりさま」と置換してみたというくだり(120ページ)のところとかは、読んでいる私にもぱぁーっと光がさしこんでくるようでした。

合間合間に挟まれる、伊藤さんがアメリカと日本を往復するしんどそうな旅の日記のようなものもこの本の味わいを深くしていて。

私は特に、伊藤さんの訳した「和讃 ひかりのうた」というのが好きでした。

ちょうど撮影のために早起きをして、電車の中で朝日が昇り眩しくて目があけられないぐらいの光の中で読んだという、出来すぎるほどのシチェーションで読んだのもあるのかもしれないですが、自分にも光が見えたような気がしました。