フィルム現像

2017.11.17 Friday

先日、久々にフィルムを現像に出しました。未現像のまま眠っていたもの。

何が写っているのか、ドキドキ、、、

写真を見てみると、

 

 

 

 

 

べったら市に行ってみたらしい。

 

 

 

 

 

立石に行ったらしい。べったら市も立石も夫と一緒に行った記憶がある。いつだろうか?と思って自分のブログを検索してみたけれど、アップはしたりしていなかった。きっと、自分の中にだけ留めていることもたくさんある。

 

 

 

 

 

 

柴又にも行ってみたらしい。陽射しととらさんの横顔が相まって、センチメンタルな感じになっている。やっぱり、デジタルとフィルムって違うんだな、、。今、若い人に写るんですとかフィルム写真が流行ってるっていうけれど、空気感を共有できるのもあるのかな?言葉にならない、でも何かを感じたというあの感じ。

 

 

 

 

 

 

 

ダチュラ。別名、朝鮮あさがおを見るといつも立ち止まってしまいます。

 

 

 

 

これって、家にあるNikonのF3で撮ったのかな。今、35ミリのフィルムカメラで家にあるのはF3しかないし。

たぶんこの時、このカメラで撮ったのは初めてだと思うけれど、F3いいカメラですね(今さら、、)

まだ、35ミリのフィルムも残っているし(いつのや!?)今度、旅行に持って行ってみようかな。

 

 

 

いつしかの錦糸町

2017.11.08 Wednesday

 

 

夢のあとさき。

 

 

生きるための工夫

2017.11.04 Saturday

花風社という出版社から出ている、浅見敦子さんという方の「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」という本を読んで、ニキリンコさんの本を読んでみたくなり、ニキさんの「俺ルール!」と「モンダイな想像力」藤家寛子さんいう方との共著「自閉っ子。こういう風にできています!」という本読んだのですが、物事をこんな風に認識していて、それゆえに困った、もしくは勘違いしていることに気づかなかったという具体的な例がたくさんあげられていて、すごく読んでいてわかりやすかったです。

正直に言うと、そうなの!?と驚くこともたくさん。もちろん自分だって何かを正しく認識しているなんて自信はありませんが。

 

例えば、今思いついたのですが、なんとなくオムライスは卵の黄色いものでご飯が包まれていて、その上にケチャップがかかっているってイメージを持っていて、あるお店で緑いろのものに包まれたオムライスが出ても、自分なら「これはオムライスではない!!」ってパニックにはならないと思うのです。あんまり。「まぁ、こんなオムライスもありなんだろうな」とスルーすると思うのですが、そのスルーことができない大変さと、そのスルーできない自分への対処の仕方。ニキさんなりの一見独自だけど、いろんな人も応用できるんじゃないかなって思いました。

 

でも、これを書きながら自分にだってオムライスならスルーできるけど、スルーできないこともあるし、たまに人の嫌な部分は見ないようにする、そうしてポジティブにキラキラ生きていく!みたいな人もいるけど、それでその人が生きやすくなるならいいと思うのですが、人って汚い部分や嫌のところもあって当然だし、むしろスルーしすぎる人へは怖いって思ってしまう自分もいて、難しいですが。

最近、こういうことをまた考えるっていうのは、座間での事件のニュースを見るたびにいろいろ思ってしまうからかな。

 

 

去年までの服

2017.10.23 Monday

寒くなって、衣替えをした時に、去年までの服に違和感を覚えました。

あれ??なんで、こんな服を着てたんだろうって。どれもこれもしっくりこないのです。

すごく気に入って買ったというより、それぞれのシチュエーションのために間に合わせで買ったような服が多く。

気に入って買ったはずの服も可愛すぎたり、、。

思い切って、そういう服をえいや!と捨てました。

とはいえ、全部捨てたら着るものがなくなってしまうので(それを全部買い直す余力はない)、一部を。

 

 

 

 

 

去年から着ていて、今年も気に入っているこの服も来年はあれれ?となるのかな。ちなみにこの服、可愛い!私には着れないけれどとよく言われます。

 

 

さよなら炭水化物

2017.10.10 Tuesday

 

 

今日は、蒲田と大森の間にある印刷所を見学させてもらって、その後に一人で蒲田の金春新館でお昼を食べた。

私が頼んだ担々麺と炒飯セットは微妙だったが、金春新館の2階の窓から明るい光が差し込み、畳の上に分厚い座布団敷いて座って自分でお茶を入れて飲みながら、20代と思われる人たちの大盛りのご飯(いわゆる、漫画もり)を隣に座っている、定年退職間近ぐらいの年齢の人たちが、羨ましいねと言っているのを聞きながら、なんだか多幸感に包まれてしまった。

1階には、セルフの杏仁豆腐やコーヒーもあったらしく、そのことを知りたかった思いも、担々麺がイマイチだったことも(しつこい)どうでもいいほど、ほわほわとした気持ちになった。

が!!自分があまりにもお腹一杯で、蒲田のレトロな喫茶店でお茶を飲むことも、その後に銀座で甘いものを食べることも(写真は蒲田ではなく銀座です)も叶わなかった。

麺類と米類。W炭水化物が大好きだった。でも、でも、これからはもうこのセットを食べるのは難しいことが今日判明した。

実は先日、インドカレーを夫と食べに行った時にも苦しかったし、(ナンと米の両方がでてきた)一昨日家でそんなにたくさん食べたつもりもないのに、次の日に胃もたれをして、胃もたれで検索し続けたし、前兆はあった。

今日はっきり自覚した。まだ食べれるのには食べれるけれど、その後のお茶もおやつも諦めることと引き換えに!

これからは選択しないといけない。麺か米か。米かナンか。パンかパスタか。デザートはつけるかつけないか。

 

 

 

 

 

 

ア・ア・ア イミティション ゴールド!!

 

中秋の名月

2017.10.06 Friday

 

 

 

一昨日、4日は中秋の名月で、妖艶な美しい月を見ることができました。池袋を歩いていたら中国食材のお店の店頭で普段見ることのない、特別な月餅がたくさん並んでいました。

中国では日本と同じく旧暦の8月15日を中秋節と呼び、祝うそうです。その時にこの丸い月を模った月餅を食べるそうです。

 

 

 

 

月餅がもともと好きなので、私も一つ買ってみました。蓮の実の餡の月餅。キラキラしたパッケージとうらはらに、拍子抜けするほどにあっさりと上品な味でした。

お店を通りががった中国の人たちも、おっ!と嬉しそうに月餅を買い求めていました。

 

 

やまゆり園

2017.09.22 Friday

 

 

昨日、津久井やまゆり園へ行って来ました。今はここで生活をしている人たちはいないので、誰もいない場所へ行って、ただただ手を合わせてきただけなのですが。

 

 

 

 

相模湖駅に着いて、やまゆり園の方へ行くバスの時間まで1時間ぐらいあったので、相模湖ダムを見に行ってきました。

 

 

 

 

掃除をしているタイミングだったようで、水の底に沈んだ木やいろいろなものが引き上げられていました。

 

 

 

 

何かを言おうとして、その言葉を打ち消す。その繰り返し。

 

 

 

長い沈黙の後に

2017.09.19 Tuesday

 

 

昨日の場所で思ったこと。誰かに会って話をしたい。そして、自分の役割を引き受けること。

 

 

エキセントリクス

2017.09.08 Friday

人は「私」という物語をなくしては生きられない

 

生まれてから今日までの記憶の積み重ねが「私」だとすれば

 

記憶を失った私は「私」ではなくなるのだろうか?

 

それともやはり同じ「私」を構成することになるのだろうか?

 

同じ夢を見るだろうか?

同じ石にころぶだろうか?

 

 

エキセントリクス / 吉野朔実

 

去年、漫画家の吉野朔実さんが亡くなったというのをインターネットで知り、その時に初めて吉野さんのお顔を見た。

吉野さんは吉野さんが描く漫画に出てくる女性にとても似ていた。

吉野さんについての思いをここに書こうと思いながら、あれやこれや自分の中で広がりすぎて、てんでばらばらに散らばってしまった。

最近、ようやく祖母の家から持ってきた吉野さんの漫画を再び読み始めた。

きっと10代の私が何かを感じとったであろう言葉に、こんなに長い時がたった今も、再びいろいろな思いや考えを重ねる。

 

 

明治神宮の森

2017.09.08 Friday

 

 

樹海へ行ったことをきっかけに、木や森に興味を持つようになった。あの時感じたことは樹海だったからこそのものなのか?

それとも、木などの植物自体に何かを感じているのだろうか?そんなことを思い、東京の中にある森、明治神宮へ行ってきた。

 

 

 

 

 

明治神宮の森は人の手によって作られた人工の森であるけれど、100年後に自然に還るようにとデザインされた、東京のこの場所だから生まれた森。きっと当時には予測できなかったような気象なんかもあると思うけれど、東京の温度も風も雨も晴れの日の光も、そのすべての条件の中から生まれた森なんだなと思うと、とても見たくなって。

行こうと思えばすぐに行ける場所にあったけれど今までちゃんと行ったことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視点が変われば、世界は変わる。